■この映画のご紹介
フロリダキーズの静かな夜、橋の下で釣りをしていたトラヴィス・マッギーと友人メイヤーは、何者かによって重りをつけられ突き落とされた女性を救出する。彼女は自らを「ジェーン・ドウ」と名乗り、多くを語らない。しかし、その背後には巨大な犯罪組織の影がちらついていた。ジョン・D・マクドナルドの傑作ハードボイルド小説「トラヴィス・マッギー」シリーズを原作とした本作は、タフでウィットに富んだ主人公マッギーが、危険な事件の核心に迫っていく姿を描く。謎めいた美女、屈強な悪役、そしてフロリダの陽光と湿った闇が交錯する、1970年代アメリカ映画の魅力が詰まった一作である。
■この映画で使われている会話表現とスラング
Jane Doe is good enough.
名無しの権兵衛で十分よ
Jane Doe(ジェーン・ドウ)は、身元不明の女性を指す際に使われる仮名である。男性の場合は John Doe(ジョン・ドウ)が使われる。法医学、警察、病院などで、身元が特定できない遺体や患者に対して一時的に付けられる名前として広く知られている。いわば、日本語の「名無しの権兵衛」や「山田花子」のような役割を果たす placeholder name(仮の名前)だ。この表現の起源は、14世紀のイギリス法に遡るとされ、当時は法的な手続きにおいて架空の人物を指すために John Doe が使われていた。現代では、特にアメリカの法制度やメディアで定着している。The police are trying to identify the Jane Doe found by the river.(警察は川で発見された身元不明女性の身元を特定しようとしている)のように、公式な文脈で使われることが多い。一方で、日常会話では比喩的に「どこの誰だかわからない人」「一般の人」という意味で使われることもある。For the purposes of this example, let’s say a Jane Doe walks into a store.(この例のために、ある一般の女性が店に入るとしましょう)といった具合だ。 『闇の帝王/ダーカー・ザン・アンバー』では、橋から突き落とされたところをマッギーに救われた謎の女性が、名前を尋ねられてこの表現を使う。
MEYER: Your name, dear. What do we call you?
VANGIE: Jane Doe is good enough.
(メイヤー:お名前は、お嬢さん。なんて呼んだらいい?)
(ヴァンジー:ジェーン・ドウで十分よ。)
彼女は明らかに自分の正体を隠しており、マッギーたちを信用していない。このセリフは、彼女の警戒心の強さと、彼女が置かれている危険な状況を端的に示している。good enough(それで十分)という付け足し方が、彼女の突き放したような態度をさらに強調している。観客は、なぜ彼女が名前を明かせないのか、という謎に引き込まれることになる。この「ジェーン・ドウ」が一体誰なのかを追うことが、物語の大きな推進力となっていく。このように、Jane Doe は単なる仮名というだけでなく、ミステリーやサスペンスの文脈において、キャラクターの謎めいた背景を象徴するキーワードとして非常に効果的に機能する表現である。彼女が後に本名を明かすことで、物語は新たな展開を見せるが、序盤におけるこのセリフは彼女のキャラクターを決定づける重要な一言となっている。
I like my winnings duty-free.
俺の勝ち分は面倒なし(非課税)がいい
duty-free は「免税の」という意味で、空港の免税店(duty-free shop)などでよく知られた単語である。税金(duty)がかからない(free)ことを指す。しかし、このセリフでは文字通りの意味だけでなく、比喩的に「面倒なことや厄介ごとが付属していない」という意味で使われている。winnings は「勝ち分」「賞金」を指すので、直訳すると「私の勝ち分は免税であってほしい」となるが、ここでは「手に入れたものに、後からついてくる面倒な責任や問題がない状態がいい」というニュアンスが込められている。非常にウィットに富んだ、気の利いた言い回しだ。例えば、友人から複雑な事情を持つ中古車を譲り受けそうになった時に、I’d love the car, but I want it duty-free.(その車は欲しいけど、面倒ごとはごめんだよ)のように、ユーモアを交えて釘を刺す使い方ができる。また、He wants the promotion, but he expects the responsibility to be duty-free.(彼は昇進はしたいが、責任は免れたいと思っている)といった皮肉な文脈でも使える。 『闇の帝王/ダーカー・ザン・アンバー』では、マッギーがポーカーで船(Busted Flush号)を勝ち取った経緯をヴァンジーに話す場面でこのセリフが登場する。
VANGIE: Everything? Miss Brazil, too?
TRAV: She was offered. I passed. I like my winnings duty-free.
(ヴァンジー:全部?ミス・ブラジルも?)
(トラヴィス:彼女も提示されたが、パスした。俺の勝ち分は面倒なしがいいんでね。)
ポーカーの勝ち分として、船や現金だけでなく、船の前の持ち主の愛人だった女性まで「提供された」が、マッギーはそれを断ったと語る。彼にとって、女性は単なる「物」ではなく、受け取れば感情的なもつれや厄介な人間関係という「税金」がついてくる。それを嫌って「非課税(duty-free)」、つまり面倒ごとのないクリーンな状態を好むと表現しているのだ。この一言は、マッギーの女性に対する哲学や、厄介ごとに深入りするのを避ける彼のクールな生き様を見事に表している。ハードボイルドな主人公らしい、洒落の効いたセリフだ。
