■この映画のご紹介
1970年代アメリカン・ニューシネマの金字塔であり、映画史に輝く傑作ネオ・ノワール、『チャイナタウン』。1937年のロサンゼルスを舞台に、私立探偵J.J.ギテスが、ある女性から依頼された単純な浮気調査をきっかけに、南カリフォルニアの水利権を巡る巨大な政治的陰謀と、富豪一家の恐ろしい秘密に巻き込まれていく物語である。ロマン・ポランスキー監督による乾いた演出、ジャック・ニコルソン演じる皮肉屋だが腕利きの探偵ギテスの名演、そしてアカデミー脚本賞を受賞したロバート・タウンによる緻密で複雑な脚本は、観る者を息苦しいほどの緊張感と虚無感で包み込む。本作で使われる英語は、1930年代の雰囲気を漂わせながらも、現代に通用するウィットに富んだ表現やスラングの宝庫である。ハードボイルドな世界観を彩る、登場人物たちのクールで痛烈なセリフの数々を学んでいこう。
■この映画で使われている会話表現とスラング
Down the hatch.
一気飲みしろ。/ぐいっといけ。
Down the hatch. は、酒を飲む際に使われる威勢のいい掛け声で、「一気飲みしろ」「ぐいっといけ」という意味の慣用句である。hatch とは船の甲板にある昇降口や貨物倉の入り口を指す言葉で、口をそのハッチに見立て、「(飲み物を)胃という倉に落とし込め」というニュアンスから生まれた表現だ。特に、ショットグラスのような強い酒を一杯で飲み干すことを促すときによく使われる。乾杯の音頭として Cheers! や Bottoms up! と同じように使われることもあれば、誰かに酒を勧める際に「さあ、飲んで」という意味で使われることもある。非常に口語的で、インフォーマルなバーやパーティーの場面で耳にすることが多い表現である。例えば、友人にテキーラのショットを渡しながら Here you go. Down the hatch!(ほらよ。ぐいっといけ!)のように使う。また、自分自身が飲む前に「よし、飲むぞ」という独り言として The bartender poured a shot of whiskey and said, “Down the hatch.”(バーテンダーはウイスキーをショットグラスに注ぎ、「さあ、どうぞ」と言った)というような状況で使われる。
『チャイナタウン』では、映画の冒頭、妻の浮気現場の写真を見せられて激しく動揺する依頼人カーリーに対して、主人公の探偵ギテスがこの表現を使う。ギテスは安物のバーボンをショットグラスに注ぎ、カーリーに突き出しながら GITTES: Down the hatch.(ギテス:ぐいっといけ)と冷静に言う。ここでは、取り乱す依頼人を落ち着かせるための荒療治として酒を勧めている。ギテスのプロフェッショナルでありながらも、依頼人の感情に深入りしないドライな性格がよく表れた一言だ。感情的な依頼人を手際よく処理するための、彼なりの「処方箋」のようなものであり、この一言がハードボイルドな探偵像を際立たせている。この表現は、映画やドラマで頻繁に登場するため、覚えておくとリスニングの助けになるだろう。
You bet your ass.
当たり前だ。/絶対にそうだ。
You bet your ass. は、「もちろん」「その通りだ」を意味する口語表現 You bet. をさらに強調したスラングである。bet は「賭ける」という意味で、You bet. は「(それには)賭けてもいい」というニュアンスから「間違いない」「当然だ」という意味で使われる。そこに ass(尻)という言葉を加えることで、「自分の尻を賭けてもいいくらい確実だ」という意味になり、非常に強い確信や同意を示す表現となる。極めてインフォーマルな表現であり、親しい友人との会話や、感情が高ぶった場面などで使われる。丁寧な会話では避けるべきだが、日常会話では頻繁に耳にする。例えば、”Are you coming to the party tonight?”(今夜パーティーに来る?)と聞かれて、”You bet your ass I am!”(当たり前だろ、行くよ!)と答えれば、参加への強い意欲を示すことができる。また、相手の言ったことに対して “Is it expensive?” “You bet your ass it is.”(「それ、高いの?」「めちゃくちゃ高いに決まってるだろ」)のように、強い同意を示す際にも使われる。
『チャイナタウン』では、ギテスが依頼人のカーリーを諭す場面でこの表現が登場する。妻を殺してやると息巻くカーリーに対し、ギテスは「殺して逃げ切れるのは金持ちだけだ」という冷徹な現実を突きつける。GITTES: I’ll tell you the unwritten law, you dumb son of a bitch, you gotta be rich to kill somebody, anybody and get away with it. You think you got that kind of dough, you think you got that kind of class?(ギテス:不文律を教えてやる、このクソ間抜け。誰かを殺して逃げ切るには、金持ちじゃなきゃダメなんだ。お前にそんな大金があると思うか?そんな身分だと思うか?)と問い詰め、縮み上がるカーリーに GITTES: You bet your ass you don’t.(ギテス:当たり前だ、あるわけない)と言い放つ。ここでは、カーリーが金持ちではないという事実を、疑う余地なく断言するために使われている。ギテスの容赦のない現実主義と、世の中の不条理を知り尽くした探偵としてのシニカルな一面が凝縮されたセリフだ。
