■この映画のご紹介
Table of Contents
−- ■この映画のご紹介
- ■この映画で使われている会話表現とスラング
- gobbledegook
- I like to watch.
- I see.
- I have nothing more to say.
- slip away / slipping
- wasted away
- take a leak
- zilch
- I'm not a man to act on the spur of the moment.
- code red
- not bandy words
- I've seen that done.
- in-depth discussion
- overwhelmed with grief
- shanty / shack(暗示される表現)と比較:mansion
- Life is a state of mind.
『チャンス』(原題:Being There、1979年)は、イェジー・コシンスキーが自ら手がけた同名小説を映画化したブラックコメディの傑作である。主演はピーター・セラーズ。生まれてから一度も屋敷の外に出たことのない庭師のチャンス(Chance)は、テレビだけを「先生」として育ち、読み書きもできない。雇い主の老人が亡くなり、初めて外の世界へ放り出されたチャンスは、その純粋さゆえに大統領や政財界の大物たちに「深遠な哲学者」として崇められていく。ハル・アシュビー監督が丁寧に描き出した、言葉と沈黙の力をめぐる寓話である。
■この映画で使われている会話表現とスラング
gobbledegook
意味不明のたわごと/お役所的な難解な言葉
gobbledegook(またはgobbledygook)は、難解すぎてまったく意味のわからない言葉、あるいは中身のない空虚な発言を指すスラングである。もともとは官僚的・専門的な文書に使われる難解な言い回しを揶揄するために使われていたが、現在では「何を言っているのかさっぱりわからない話」全般を指すようになっている。That legal contract is full of gobbledegook.(あの法律文書は意味不明な言葉だらけだ)や Stop talking gobbledegook and speak plainly.(わけのわからないことを言うのをやめて、はっきり話してくれ)のように使う。語源については諸説あるが、七面鳥(turkey)の鳴き声「ゴブゴブ」から来ているという説が有力で、意味のない音の連続を表している。 『チャンス』では、チャンスを長年世話してきた老女中のルイーズがテレビでチャンスの出演を見て仲間たちに向かって言い放つ、Gobbledegook! All the time he talked gobbledegook!(たわごとばかり!あの子はいつもたわごとしか言わなかった!)というセリフに登場する。ルイーズにとって、チャンスは読み書きもできず、世間知らずの「頭の中に米のプディングが詰まった子」である。それが今やテレビで大統領と並んで紹介され、国民から賞賛されている——そのあまりの皮肉に笑い飛ばしながら、「白人であればアメリカでは何でも手に入る」と痛烈に批判する。この場面は映画のテーマを最も端的に語るシーンのひとつであり、gobbledegookという言葉がその核心を貫いている。テレビの時代において、言葉の内容ではなくイメージがいかに人を動かすかという批評が、このひとつのスラングに凝縮されている。
I like to watch.
見るのが好きだ(多義的な表現)
I like to watch. という表現は、文脈によって意味が大きく変わる非常に興味深いフレーズである。最もシンプルには「テレビを見るのが好きだ」という意味だが、状況次第で「(行為を)観察する趣味がある」「のぞき見が好き」というニュアンスに転じる。この映画ではチャンスが何気なく口にするたびに、相手が意図せぬ解釈をしてしまうという笑いが生まれる。 I like to watch. という文は非常にシンプルだが、その前後の文脈しだいで全く異なる印象を与える。日常会話では I enjoy watching sports on TV.(テレビでスポーツを観るのが好きだ)という意味で使うが、映画の中ではその無邪気な一言が次々と誤解を引き起こす装置として機能する。 『チャンス』の中で最も印象的なのは、デニスという男性がチャンスを個室に連れ込んでなにかを期待する場面である。チャンスはそこにある小型テレビに気づき、それを見ながらI like to watch.(見るのが好きだ)と言う。デニスはその言葉を全く別の意味——つまり自分のことを「見て」ほしいという願望——として受け取り、興奮する。チャンスはただテレビを見たかっただけであり、そこには一切の下心も意図もない。このシーンは映画のブラックユーモアの真骨頂であり、言葉が話者の意図とは無関係に受け取られる危うさを鋭く描いている。また、テレビ番組の司会者デュポンとの対談でも、I like to watch.(見ることが好きです)という発言が「テレビを新聞より優れた情報源と考えている」という深い意味として解釈される場面があり、この繰り返されるフレーズが映画全体の皮肉な核心となっている。
